最後の法廷
2018.09.30ブログ今年のプロ野球界は、松阪世代の選手をはじめ、長年活躍してきたスター選手の引退が目立ちます。
寂しいですね。
子供のころから野球をはじめ、野球だけを考えて今まで生きてきた方々の去り際は、感動的です。
元プロ野球選手が、かつて戦力外通告を言い渡され、野球を辞めたときの気持ちを綴った文章がとても印象に残っています。
「12月になり、野球をやめることを決めた。そこから、人生で初めてに近い「野球をやらなくていい生活」が始まる。小学校3年生で野球を始めて24歳で野球をやめるまでの約15年、1日として野球のことを考えない日はなかった。2日続けて休んだことはないし、休日でも頭の中は基本的に野球のことを考えていた。プロに入ってからは、24時間365日野球のことは頭の中に必ずあった。それが仕事なのだから、当たり前である。
野球をやめると決めた今、今日も、明日も、明後日も、その先もずっと、野球のことは考えなくてもいいし、練習もしなくていい。それは、ある種15年ぶりに手に入れた自由なのだけど、いきなりやってきた自由を簡単には受け入れられなかった。
一日に一度も心拍数が上がることもなく、寝る前に体のどこかが張っている感覚もなく、朝起きて肩の可動域をチェックする必要もない。バットを振る必要もなければ、明日対戦するピッチャーのことを考える必要ももちろんない。ただ、あまりにも長い時間そのことを繰り返していたため、クセが簡単に抜けてくれない。それが、非常に辛い。寝る前にはバットを触らなければ落ち着かないし、目を閉じれば自分がホームランを打つイメージが自然と始まる。そのイメージや習慣が生かされる舞台はもう来ないのだ。そのことに気がつくのが怖くて、目を開ける。眠れなくなって、結局バットを振るとようやく眠りにつける。目を閉じれば、目の前にピッチャーがいる。15年も、毎日やってきた習慣なのだ。「やめる」と頭で決めただけで体が同期してくれるわけではない。その習慣を繰り返してしまう自分が、辛いのだ。」(高森勇旗「文春野球コラム・『戦力外通告--野球をやらなくていい自由の本当の辛さ』より)
当たり前だった生活が終わる。プロ野球はセンセーショナルですが、どんな職業もいつかは終わる時が来ます。
私の「弁護士」という仕事もいつかは終わります。最後の法廷もいつかやってきます(家事?民事?やっぱり刑事でしょうか?)。
弁護士でなくなったとき、もう法廷に入ることができません。六法をもう開かなくていい、もう書面を起案しなくてもいい、そんな日常がはじまります。きっととてつもない寂しさ、むなしさ、そして弁護士という仕事のやりがいを実感するのだと思います。
本当に苦しいときもあるし、投げ出したくなることもありますが、いつかこの仕事ができなくなることを思うと、日々の一件一件の仕事に悔いの残らぬよう全力投球しなくちゃいけないと思うこのごろです。