裁判で「勝つ」ということ
2021.07.22ブログ最近雑誌でこんなエピソードを読みました。
「昔、罪を犯した男が刑務所で看守にひどいいじめを受け続けていた。
刑期を終えて出所をしても看守に対して憎しみの感情を持ち続けていたし、何年経っても怒りは収まらない。ついには看守を殺してやろうとまで考え、看守に面会を申しこんだ。
そしてその男が刑務所に行くと、たまたま犯罪者の心のケアをする牧師に遭遇した。
男は牧師に、自分がいかに看守からいじめられ、その看守がどれだけ今でも憎いかについて話した。すると牧師はこう告げた。
「あなたはまだ堀の中にいるんですね。心はその看守に支配され続けている。今のままでは刑務所にいた時と何も変わりはしない…」」
「絶対に許さない」「できる限り賠償金を取ってほしい」「何とかして相手方に私の苦しみをわかってほしい」…
怒り、苦しみ、悲しみ、復讐、憎悪
本当に理不尽な目にあい、救いを求めて、たくさんの方が当事務所に相談に来られます。
弁護士として、できることは可能な限りサポートしたい、理不尽な泣き寝入りは許されるべきでない、そう思います。冤罪など絶対に負けられない裁判があることも事実です。
しかし、例えば、長年かけて1円でも多く相手方からお金を取ることが「勝ち」なのか、多大な時間や労力をかけて裁判で勝訴判決を得ることが「幸せ」なのか、本当に悩ましい問題です。
人生は、どんな人でも80年~100年程度しかありません。
そして、実際健康に動ける時間はもっともっと限られています。
相手方への復讐や憎悪にとらわれて、貴重なかけがえのない時間を費消する。
紛争の間は、相手方のことで頭がいっぱいで全く楽しくありません。ご飯もお酒も美味しくありません。裁判の中で相手方から何度も嘘や誇張の話を突きつけられ、疲弊し、さらに精神的に落ちていく方々をたくさん見てきました。
そんな「相手方なんか」のために大切な時間を注いてやることが果たして正解かのか?よく考えなくてはいけません。
大事なことはハッピーで、ポジティブな人生を送ることです。
お金をたくさん取ることや裁判で勝つことと必ずしもイコールではないことも多々あります。
一つの答えにとらわれず、幸せになるために一緒に悩んでいけたらと思っています。